彼らは世界を変え、ルールを変えることに24時間を捧げていたのです。書籍やニュースで知っていたシリコンバレーは私を変えることはありませんでしたが、現実のシリコンバレーの若者の言葉が私を変えました。
「君のビジネスモデルは何だい?」「泳ぎ切るか溺れるかしかないんだから、どっちがいい?」「運命?書き換えればいいよ」。
どんな環境にいても、自分の意思で人生を変えることができるのを、火傷しそうなくらいの興奮が渦巻くシリコンバレーで学びました。それは私の日本型教育の洗脳が解けた瞬間でした。うまくいかないのは「運命」だから仕方ない、「我慢して耐える」しかないと悲観的に考えていた自分が消え去りました。カリフォルニアの青い空の下で、「運命は自分で変えていいのだ」と気づいたのです。
P92
著者である大谷真樹さんは、青森県では八戸学院大学の「ジーパン学長」だった方として有名です。
そして、元々が教育関係ではなくベンチャー出身とのこと。
なので、従来の教育者とは異なった視点で日本の教育を見ています。
本書は、日本の教育システムの欠陥を指摘し、その解決策としてグローバル教育を推奨しています。
(偏差値や学歴ではなく、学習履歴と失敗歴それらを踏まえてどんな付加価値を提供できるかが重要)
なんといってもすごいのは、課題をクリアにした上で、その解決策として自ら学校を立ち上げているという点です。
今回は引用が多めになりますが、きっとみなさんの新しい発見につながると思っています。
ぼくが本書に共感する理由
この章は、ぼく自身のことを書きます。
長いと思う方は、この章は読み飛ばしてください。
本書との出会い
ある日、小さな書店で偶然本書を見つけました。
表紙をめくってすぐ、「はじめに」はこう始まりました。
私は怒っています。
いったいどうして日本は、こんな国になってしまったのでしょうか。
私は大学の学長時代、あまりに学生たちが国内知名度の高い企業への就職だけを目標にしており、その先の自分自身のキャリア形成の目標や志を持っていないことに愕然としていました。
(中略)
あれほど屈託なく笑い、走り回っていた子どもたちは、日本の教育システムで育成され、小学校、中学校と進むにつれて、その笑顔をだんだん失っていきます。そして、高校、大学時代をなんとなく過ごし、本当に「つまらない社会人」になってしまっています。
P2
まさに自分のことを言われているように感じました。
そしてそれは、自分が感じてきた違和感そのものでした。
書店のよさはこういう偶然の出会いだと思います。
あの日、あの書店に立ち寄らなければ、たぶん今でも本書を読むことはなかったと思います。
ぼくが本書に共感する訳
この本をとても推奨するのは、本書が指摘している若者の問題点が、まさにぼく自身が体感したことと一致しており、だからこそ本質を捉えていると思っているからです。
少し生意気なことを言いますが、ぼくはど田舎ではそこそこ優秀な成績でした。
中学校でも高校でもテストで学年トップを何度もとれました。
これにはコツがあって、つまるところ「暗記」です。
授業で教わったこと、教科書に書いてあることを覚えれば、良い点数がとれます。
ただそれだけ。
なので、当時は高校までは「頭の良さ=記憶力」だと言い切って間違いないと思います。
大学でも成績はそこそこ優秀でした。
成績表だけ見ると都会の友人よりもよかったと思います。
でも、はじめて違和感を覚えました。
成績はそこそこ良いけど、手ごたえがない。
テストで良い点数を取って何になるのか。
「親に高い金を払ってもらって東京に出てきたのに何をしているんだろう」という絶望感。
で、ある時気づいたこと。
「社会に出たら自分で成長しないといけない。自分で学ばないと。誰も何も教えてくれない。」ということ。
そして、テストの点数が良くても問題解決には結びつかないということ。
ところで、公務員はみんな成績優秀です。
でもその頭の良さは、ぼくのように「教わったことをそのままやれる」という意味です。
裏を返せば「教わったこと以外のことはできない」ということでもあります。
よく、新しい事業を始めようとする時に「前例がない」と猛反対する公務員がいます。
これは、その事業を進めるための「教科書」がないからです。
難しい試験をパスした頭の良い人材がたくさんいる田舎のお役所が全く機能しないのはこのためです。
このことに気付いたのも、残念ながら退職間際の晩年です。
さて、そろそろ話を本書に戻しましょう。
本書は、ぼくの学生時代、それから公務員時代の経験のすべて否定してくれます。
本書は、ぼくのような若者が再生産されていく社会に危機感を持っています。
そして、その原因を日本の教育システムに見出しています。
日本の未来を変えるような人材は圧倒的に不足している。なぜ挑戦や変化を恐れ、ルールに従うだけの若者が蔓延しているのか。優秀なはずの公務員や官僚は変化を起こすことができず、なぜ失敗を恐れ、不祥事を組織ぐるみで隠蔽するのか。その根底の原因が日本の教育システムにあることは、この10年間の教育界での体験で確信になっていました。
P173
日本型教育の問題点
テストだけはいい日本型エリート
教育は150年間変わらず、同じことを何回も正しく繰り返す能力を持った職業人が重用され、記憶力テストで優秀な成績を収めた人が公務員や官僚になっていきます。
P16
受験というフィルターを潜り抜け、日本型の高等教育を受けたエリート集団は前例を踏襲することや組織防衛には長けていましたが、結局、問題を先送りすることしかできず、激変する世界の中で新しいルールも価値も生み出せないまま、バブル崩壊以降の停滞した30年が過ぎました。
P136
学校のテストは所詮暗記で、記憶力の問題です。
しかしながら、「記憶力」と「課題を認識し、解決策を見出して、行動する能力」はイコールではありません。
したがって、記憶力にすぐれた点数の良い秀才ばかり集めても、組織や社会を発展させていくことはできません。
同様のことは、日本軍の敗因を研究した名著『失敗の本質』においても言及されています。
日本軍内部の各級の教育機関でもしだいに、与えられた目的を最も有効に遂行しうる方法をいかにして既存の手段群から選択するかという点に教育の重点が置かれるようになった。学生にとって、問題はたえず、教科書や教官から与えられるものであって、目的や目標自体を想像したり、変革することはほとんど求められなかったし、また許容もされなかった。
ほとんどの場合に問題になるのは、方法であり、手段であった。ときとして、目的・目標ばかりでなく、方法・手段そのものも所与のものとされ、教官や各種の操典が指示するところを半ば機械的に暗記し、それを忠実に再現することが、最も評価され、奨励されさえした。いわば「模範解答」が用意され、その解答への近さが評価基準となっているのである。(P331-332)
しかしいずれのタイプにも共通するのは、それらの人々がオリジナリティを奨励するよりは、暗記と記憶力を強調した教育システムを通じて養成されたということである。
(中略)いかに要領よく整理・記憶するかがキャリア形成のポイントであった。このような教育でしつけられた行動様式は、戦闘が平時の訓練のように決まったシナリオで展開していく場合にはよいが、いつ不測事態(コンティンジェンシー)が起こるかわからないような不確実性の高い状況下で独自の判断を迫られるようになってくると、十分に機能しなくなるだろう。(P362-363)
日本海軍はきわめて洗練された人事評価システムをつくり上げたが、学歴主義を否定することはできなかった。既述のように、海軍兵学校の卒業席次は、兵学はすべて理数系の実学であったから、理数科に強い学校秀才型の学生が有利であった。しかしながら、予測のつかない不測事態が発生した場合に、とっさの臨機応変の対応ができる人物は、定型的知識の記憶にすぐれる学校秀才からは生まれにくいのである。(P379)
『失敗の本質』 中公文庫
みんな同じ
日本の教育制度では、生年月日で区切った全員を同じ学習指導要領や教科書で教育して、各学校単位で同じテストを受けさせ、同じ採点方法で評価します。だから子どもたちは、社会に出るまで平等が当たり前だと思ってしまいます。それが学校を出た瞬間に、不平等だらけで、しかも理不尽なことが溢れている社会の現実に晒されて戸惑ってしまいます。
P73
失敗を恐れる
日本人は他人と違うことをして失敗するのを異常なくらい恐れます。この失敗を異常に恐れるマインドセットは日本特有であり、先生や保護者が無邪気な子どもたちにインプットし続けた結果形成されたものです。もはや、マインドセットというより、罪深い洗脳だといった方がよいかもしれません。
P81
日本には、ビジネスパーソンが一度でも事業や組織でいわゆる失敗をすると後ろ指を指され、再挑戦しにくくなるという文化があります。幼少期から儒教に根ざした失敗はよくないとする日本型教育で洗脳された子どもは、成人してビジネスパーソンとなってからも自分の失敗を嘆き、また人の失敗を責める思考形態から脱却することが難しいのです。
(中略)
減点法による評価を乗り越え、「失敗しないエリート」として選抜されてきた官僚、組織人は異常に失敗を恐れ、たとえ失敗しても、個人も、そして組織全体も「言い換え」によって失敗はなかったものとして隠蔽してしまいます。失敗自体が悪なので、失敗を次の成功に導くため、正しく総括するという当たり前にことが彼らにはできません。
P104-105
夢を語れない
アメリカ人は「ビジョン」や「ドリーム」など、自分の夢をよく語ります。しかし、日本では、子どもたちが夢をまったく語りません。先生も語りませんし、親も語ることはありません。
(中略)
高い志を持ち、大きな夢を描くことを、教育現場で妨げるような指導があり、生徒は誰も胸を張って人生のゴールを語ったりしません。
P130-131
主体性がない
長年、日本の教育システムは「勝手に変化しない」「素直な命令に従う」「繰り返し能力の高い」人材を作るのに長けていました。
P38
教師は受験に必要な唯一の正解である「答えを教えてくれる正しい人」との先入観が、生徒たちから「疑う」「批判的に考えてみる」というクリティカル・シンキング能力を奪っています。
(中略)
先生が教えたことを記憶し、テストで高得点を取り、良い高校や大学に入り、知名度の高い会社に入ることを目標にして、自分の人生や社会に疑問を抱かず、ある種、洗脳されたまま社会人になっているのです。
そのような社会人は、運悪くイレギュラーな流れに吞み込まれ、正解のない課題に直面した時に、自ら考え行動することができず、茫然自失となってしまいます。
P53-54
そして、最も罪なのは、日本の教育現場では「ルールを守る」ことを厳しく教え、時には理不尽な学校のルールを力づくで生徒に押し付けます。これにより生徒たちは「ルールを破ること」は「怒られる悪いこと」だと徹底的に学習してしまいます。世界では、いかにしてゼロから1を創り出し、ルールやゲームをそのものを変えて世界をひっくり返そうかと、若きイノベーターたちが夜を徹して競い合っているのにです。(中略)ルールを破ると問答無用で怒られるのが日本の教育現場です。
P55-56
この章のまとめ
ここまでをあらためて整理します。
- テスト=記憶力だけはいい
- みんな同じ
- 失敗を恐れる
- 夢を語れない
- 主体性がない
結果として、平均的な能力を持った可もなく不可もない労働力が大量生産されました。
ぼく自身を含め「優秀」と評される田舎の公務員を見れば、納得していただけるでしょう。
人材が劣化していくことで、日本という国そのものが競争力を失い、衰退していくことを著者は危惧しています。
正直なところ、田舎の公務員は全部当てはまってます。
あのやる気も覇気ない生きる屍のような人間に、自分の子どもがなってしまったらヤバイですよね。
「いやいや、難しく考えすぎ」と言う方もいるかもしれません。
でも、同じような言説は、いたるところで目にします。
ぼくが敬愛するノムさん=野村克也氏の本を引用します。
勉強や仕事だけでなく、スポーツでも同様のことが起きていることがわかれば、モノゴトの深刻さがお分かりいただけるのではないかと思います。
ところが、ブルペンで見ていると、ワインドアップで漠然と投げているピッチャーがいかに多いことか。「セットポジションで投げろ」と指示しなければ、セットの練習をしようとしない。というより、その重要性に気がつかない。
なぜかといえば、与えられる練習に慣れてしまっているからだ。プロ野球の世界に入ってくるような選手は、たいがいが野球名門の出身だ。そこでは監督のいうことが絶対で、命じられるまま、ひたすら猛練習をこなす状態になっていることが多い。何のためにその練習をやるのか、自分にとって必要な練習とは何か、といったことを考える余裕もないし、求められもしない。つまり問題意識を持って考える経験をしてこなかったのだ。
(中略)
ただいわれたことをやっているだけ、指示を待っているだけでは、それ以上の成長も進歩もない。失敗やミスをしたときは、誰かがその原因を教えてくれ、修正の方法を授けてくれるかもしれないが、それを聞いて実行するだけでは、ほんとうの原因究明と改善にはならない。
(中略)
みずからが問題意識を持ち、何がいけなかったのかを考え、改善するための課題を掲げ、能動的に取り組まなければ、失敗を次に活かすことは不可能といってもいい。その結果、また失敗してもかまわない。考え、苦労したぶんだけ、人は絶対に成長しているのだから。
野村克也『負けかたの極意』P158-159 講談社
では、どうすればいいのか?
戦後のある時期までは、従来式の教育でよかったのかもしれない。
でも、これからの時代はそうじゃない。
特に、著者のようにグローバルな視点を持った人にとっては、「人材の劣化=日本の衰退」という危機感があります。
それに、別にグローバルでなくても、個性も必要とされず交換可能な部品のような扱いを受けていいわけがない。
自分の人生を運命に委ねるのではなく、自分でコントロールする
冒頭での引用は、著者自身の運命を変えた出来事として記されています。
大切なので、もう一度掲載します。
彼らは世界を変え、ルールを変えることに24時間を捧げていたのです。書籍やニュースで知っていたシリコンバレーは私を変えることはありませんでしたが、現実のシリコンバレーの若者の言葉が私を変えました。
「君のビジネスモデルは何だい?」「泳ぎ切るか溺れるかしかないんだから、どっちがいい?」「運命?書き換えればいいよ」。
どんな環境にいても、自分の意思で人生を変えることができるのを、火傷しそうなくらいの興奮が渦巻くシリコンバレーで学びました。それは私の日本型教育の洗脳が解けた瞬間でした。うまくいかないのは「運命」だから仕方ない、「我慢して耐える」しかないと悲観的に考えていた自分が消え去りました。カリフォルニアの青い空の下で、「運命は自分で変えていいのだ」と気づいたのです。
P92
自分で自分の人生を切り拓く。
そのためだったら、自分でルールを変える。
そのために必要な知識や考え方を教育で身につける。
単に知識を詰め込むだけでなく、自分の未来に向かって飛躍したくなるような気持ちになる教育。
たぶんそういう視点が必要なんだと思います。
少なくても、「不都合なルールは自分で変えろ」とは学校で教わらないですからね。
重要なのは、「自分の人生を運命に委ねるのではなく、自分でコントロールする」という強い意思を持つことです。
企業に就職したり組織に所属することは、学びとしてはとても有益でしょう。しかし、その中で理不尽さを感じたり、レールを変えることの必要性に気がついた時は思い切ってそこから飛び降りる勇気が必要です。
P96
早くから主体的に学ぶ
日本の教育システムは、この貴重な人生のゴールデンタイムを意味のない受験勉強に費やさせています。年号の暗記に、穴埋めテストの二文字を覚えるなど、そんな不毛な勉強に多くの時間を使わせています。(中略)今は必要に応じてスマートフォンなりパソコンによって検索さえすれば、知識や知見が無限に得られる時代です。社会に出てからも、仕事に必要な知識はインターネットで調べながら、まずは何かを作り出すプロトタイプ型開発やアジャイル型開発が世界の標準となっています。
(中略)
無意味な受験対策用の作業時間をゼロとすることで、可処分学び時間を最大化する。そして、その時間を将来のキャリア形成のための動機の発見や意識づけ、探索に充てるべきなのです。無駄な受験勉強を乗り越え、大学入学と同時に次の目標を失う、そんな残念な学生をたくさん見てきました。真の学びの動機付けは大学からでは遅いのです。
P158-159
なぜ大学に行って学ぶのか?
「すぐには働きたくないから」
「みんなが進学するから」
「就職に有利だから」
ではなく、
「実現したい夢があるから」
「自分の世界を広げたいから」
と、子どもたちが自然に言えるような教育が必要なんだと思います。
まとめ
日本の教育の抱える課題に対する著者の答えは自身の行動に表れています。
つまり、現行の教育制度を解体し、中等教育以降は私学や民間に解放し、高等教育からはグローバルでも国内でも自由な進学を選択できるような改革です。
教育制度は早々に解体して、最低限の義務教育を国がインフラとして守り、中等教育以降は自由度を大幅に広げて、私学そして民間事業者へと解放するべきだと確信します。(中略)もはや外部のパワーに委ねるしか、日本の教育を沈没から救う方法はありません。
P107
正直考えていることのレベルが違います。
ですが、ぼく自身としては、それを身近にダウンサイジングすることもできるのではないかと感じました。
ぼくが受けてきた教育は、1クラス40人で同じことを聞いて、
同じことをノートにメモし、
共感できないのに他人の意見に「さんせーです」と言います。
テストは暗記すれば良い点がとれます。
その知識は生きた知識ではありません。
でも、一歩学校の外に出てみれば、学びがたくさんあります。
山や海には、生物学や気象学、漁業や農業を学ぶきっかけがあります。
不法投棄のゴミを見れば環境問題につながるかもしれません。
スーパーには、物流・マーケティング・ブランディングといった経営学の要素がたくさん揃っています。
それに、そこにはいろんな種類の大人がいます。
買い物するのに困っている高齢者や障害者を見て、ユニバーサルデザインに関心を持つかもしれないし、そもそもスーパーに足を運ぶことができない方もいるという地域の課題も見えるかもしれません。
人生40年生きていても、訪れたことのない都道府県はたくさんあります。
海外に出ずとも、そういった訪れたことのない町でいつもと違う人、いつもと違う文化に触れるだけで、新たな発見につながると思います。
そもそも大学に入って何をしたいのか。
将来何をしたいのか。
そこからのスタートだと思います。
それを考えることは、実はとても難しいことです。
だから「とりあえず大学に行っておこう」になる。
でもそこで思考停止にならず、その詰込受験勉強の時間を自分が好きなこと興味関心のあることに使えばいい。
それすらわからなければ、教室を出て何かを探しに行けばいい。
別に海外じゃなくてもいい。
隣町でも、興味のない美術館でも、日本の端っこでもいい。
ただつめこんだだけの知識は、本当に好きで身に着いた知識や、実際の体験にはかないません。
教え込まれた知識ではなく、自分で主体的に身に着けた知識と経験をもとに、試行錯誤してアウトプットを繰り返す。
そういうことを後押しできる教育になってほしいと思います。
当然ぼくは学校教育を変える立場にはないので、自分がふれあう範囲の子どもたちには、そういう気づきを与えられる大人になりたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もし本書の想い・熱量が伝わらなかったとしたら、それは私のレビューが悪いからです。
なので、ぜひ一度本書を手に取っていただきたいと思います。
最後に、本書でぼくが好きなパートを引用します。
著者からのエールだと思っています。
世界中の国がほぼ資本主義国家です。そこで暮らすということは、簡単に言えば、世界中の人が「人の能力と時間を奪う側」と「奪われる側」のどちらかに属しているということです。ですから学生には、「就職することは搾取される側にまわるってことだよ。自分の次のキャリアを描いていくには、就職はいい経験だし社会勉強になるけれど、能力がある人は能力のない人から奪っていくし、資本のある人は資本のない人から奪っていく。その基本原則をしっかり学んだ方がいいよ」と伝えています。
P70
コメント
コメント一覧 (2件)
素晴らしいレビュー有難うございました。私自身も自分で書いた文章なのに「はっ」としてしまいました。ブレずに新しい教育づくりに邁進したいと思います。
コメントいただきありがとうございます。
著者である大谷先生ご本人にお読みいただいたこと、大変光栄に思っております。
魂を揺さぶられるというか、自分も変わらなけばという興奮とともに読ませていただきました。
自分の中にあった違和感を本書によって言語化することができたことで、自分が向かうべき方向が間違ってはいないと実感することができました。
組織も社会も「人」がつくります。
成果が出るまで時間はかかりますが、成長のためには避けては通れない問題だと思います。
大谷先生の教育改革をこれからも楽しみにしております。