ヘビから差別を考える|安部公房「ヘビについて」(『砂漠の思想』)

ヘビについて

こんにちは。

毎日1時間、いきもののお世話に時間をとられているシロイクジラです。

みなさんは、いきものは好きですか?

犬とか猫とかカワイイですよね。

じゃあ、ヘビは?

たぶん多くの人がノーと答えると思います。

なぜ?

不気味で気持ち悪いからですよね。

では、犬や猫と違って、どうしてヘビを不気味で気持ち悪いと感じてしまうのか?

それを真面目に考えたエッセイ「ヘビについて」を取り上げます。

そして、ヘビ嫌いから差別を考えていきたいと思います。

目次

ヘビ嫌いの考察

「ヘビ年に、ヘビのことを書いたりするのは(P13)」から始まるこのエッセイは、ルナールの「ヘビ、ながすぎる」にはじまり、ヘビがもつ不気味さへの考察に移ります。

ヘビに対して抱くあの恐怖心の原因は何か?

「ヌラヌラ、ぬめぬめ」した感じや、人間の祖先がヘビに襲われた太古の記憶の残骸だとか、いろいろ考えた結果、答えとして、人々の「常識から外れている」ということに行き着きます。

つまり、ヘビがぼくらの「常識」の枠外に存在しているということです。

われわれ人間の場合、生活の高度な社会化によって、言語を媒介にする条件反射、すなわち意識生活が非常に広範になり、またその利用も極めて日常化している。ここで常識の世界という、実はひどく複雑な仕組を、習慣によって単純な略記号化した部分が、大きな構成部分をしめることになる。そこにもし、説明しつくせない対象が、しかも強制的に反応を強要するものとして現れた場合、常識反射系に混乱とこわばりが生じ、その生理的失調が、不気味さとして意識されるのは当然ではないか。

P16

ぼくらの日々の生活は「常識」によって成り立っています。

神出鬼没に現れ、手足もなく異様な姿で、そのために擬人化もしにくいヘビは、その生態がイメージしづらく、ゆえに人々の「常識」の枠外に存在していると言えます。

したがって、ヘビが現れた時「自分自身の内的事件として想像し再現することができない(P28)」ため、「情緒の拒絶反応がおこる(P28)」というわけです。

つまり、自分の常識でわからないことや理解できないことが目の前に現れると、アレルギー反応が起こり、不気味さ、恐怖、嫌悪感など感じてしまうのだと思います。

納得できましたか?

「何だ、そんな当たり前のことか」と思った方もいると思います。

何気ないことを面倒くさく考えるのが、安部公房のおもしろさでもあります。

ヘビが怖い人にとっては、ヘビがその人の常識の外側にいる。

ムツゴロウさんや生物系YouTuberなど、ヘビが好きな人にとっては、ヘビが常識の内側にいるということです。

なので、怖いとか気持ち悪いと思うものがあったら、まずは自分がそれをどれだけ知らないかを考えてみましょう。

自分の常識系を少し広げるだけで、恐ろしいヘビに見えていたものが、実はカワイイ小犬だったことに気が付くかもしれません。

実体験で言うと、ぼくもヘビは好きではありませんでした。というか、生理的な恐怖感すら持っていました。

でも、子どもと一緒にカナヘビやカエルを育てるようになって、爬虫類の生態に興味を持つようになってからは、ヘビに対する恐怖心が少なくなりました。

もちろん触ることにはまだ抵抗がありますが、外でヘビに出会ったらまずはよく観察して、できるだけ近くでいい写真を撮りたいなと思います。飼ってもいいなと思いますが、たぶんエサが難しそうなので自重しています。

そもそも、ヘビの生態を理解すれば、うっかりテリトリーに入ったり、人間からいたずらをしない限りは、ヘビの方から逃げていきますよね。

ヘビと差別

ヘビが怖い理由はわかりました。

自分の常識の枠内でヘビを捉えることができれば、不気味さを感じることはないはずです。

普段から見慣れている犬や猫を、怖いと思わないのと同じです。

では、人間の世界に目を向けてみます。

世の中にある差別や偏見も、ヘビと同じだと思います。

つまり、相手をちゃんと知らないだけ。

自分の常識が、相手の思考・考え方・生き方を捉え切れていないだけ。

わからないから、違和感を覚えてしまう。

言い換えれば、たったそれだけのこととも言える。

欠如が与える不安と言えば、これはどうやら、幽霊が与える恐怖と同質のものであるらしい。幽霊の特徴をひと口に言えば、生との断絶、すなわち、日常性の欠如ということである。

(中略)

つまり、人間というやつは、それほど強く日常性の壁にしがみついている動物だとも言えるわけである。たしかに、昨日のように、今日があり、今日のように、明日があるという、日常感に支えられていればこそ、社会や秩序を、実在として受けとめることも出来るわけだが、しかし、その壁にあまりよりかかってばかりいすぎると、こんどは日常の外にあるものが、すべて幽霊や蛇に見えてくるという、きわめて偏狭な視野の持主になってしまう危険もあるわけだ。

P22-24

例えば、「男のシュフ」。

ぼくのメインの活動時間は午前中です。

(待ち時間が大っ嫌いなので、街に人が少ない時間に買い物に行くからです)

で、朝早くスーパーに行くと、やっぱり怪訝な視線を送ってくるおばさまがいます。

おばさま方には、「平日は男は仕事、スーパーで買い物は女」という常識があるんだと思います。

しまむらなんかは完全アウェーです。

カナヘビ

こっちだって行きたくないけど、どうしても子どもの服とか必要な時があるんですよ・・・と心の中で謝っています。

この時、おばさま方の目には、ぼくがヘビと同じように映っているんだと思います。

ちなみに、しまむらの絵本エプロンはマジでオススメです。

もうひとつ。

この記事を書いている2023年2月、岸田総理の秘書官の同性婚に対する差別発言が注目を集めました。

「見るのも嫌だ。隣に住んでいるのも嫌だ。」

これも、LGBTの生活が想像できない、つまり秘書官の常識の中にLGBTがなかったことが原因だと思います。

どこかでLGBTの方と接点があって、その人だって他の誰とも変わりない一人の人間であることが分かっていれば、こんな発言はしなかったと思います。

わからないものごとを一方的に嫌いになるのではなく、歩み寄って自分の常識を広げる努力が必要だったんだと思います。

ヘビ嫌いをやめる

安部公房は、ヘビ使いはヘビに対して恐怖心を抱かないから、普段からヘビと接する環境をつくればヘビへの嫌悪感がなくなるはずと言っています。

安部はそれを実践しませんでしたが、ぼくは実体験として実証済みです。

ヘビに限らず、自分と生き方や考え方が合わない人を毛嫌いする前に、まずは自分の常識がせまくなっていないかメンテナンスすることが大切かなと思います。

カナヘビ

仕事で企画を立案する時だって、自分本位じゃなくて、ターゲットとなる相手の気持ちを推し量ることが必要ですよね。

なんでも自分で経験できればいいですが、そうもいかないので、本を読んで見聞を広げることも大切だと思っています。

紹介した本

書名 砂漠の思想(「ヘビについてⅠ」「ヘビについてⅡ」)

著者 安部公房

出版 講談社文芸文庫

ヘビについて

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • ブログの紹介ありがとうございます。
    養老孟司さんが何かの動画のなかで、現代人は有機物の臭いが苦手になったと言っていました。昔は大便したらお釣りがくるし、台所はハエと物の腐った臭いが当たり前。
    養老さんは、そんな日常を追いやってしまった今を危惧してましたが、なぜかこの記事でその事を思い出しました。

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